「時は流れない。それは積み重なる。」
このフレーズ、ご記憶の方もいらっしゃるかも知れません。
90年代にオンエアされたウイスキーのテレビCMの名コピーです。往年のスター、ショーン・コネリーがバーカウンターで重厚にウイスキーを口に運ぶ絵に、上記のコピーが、これまた重厚なナレーションで重なってくる・・。
幼心に、ブラウン管から溢れ出る「渋み」にすっきりやられてしまい、早く大人になってあんな旨そうなものを飲んでみたいと思ったものでした。
さて、皆さん、こんにちは。
なぜまたこんな埃臭い私的な記憶の断片を、徒然なるままに書き綴ったかというと・・。

22日金曜日。ゆめの森の終業式を行いました。
式の冒頭、我らがゆめの森GM増子先生が、児童生徒に語りかけます。
「みなさん、クイズです。この82という数字は、何の数字でしょうか?」
背後の壁面に大きく82の数字が映し出されます。私を含めみんな一様に首を捻り、なかなか答えが出ません。
「82。これはみんなが二学期に学校に来た回数です。」
「えー!」そんなに!なのか、それしか!なのか、ざわめきが起こります。
「この82日のなかで、いろんなことがあったよね。たとえば・・。」
演劇発表、スポーツフェスティバル、落成式・・。思い出の数々が、壁面に映し出されます。新たな写真が映されるたびに、あったあったと児童生徒から声が漏れます。彼らも記憶の断片を取り上げ、丁寧に曇りをぬぐい、感慨に浸っているようです。その姿には老いも若いも関係ないようです。
「みんな、どうだったかな。どんな気持ちだったかな?」
「がんばった。」「よかった。」「うれしかった。」「やりきった。」児童生徒から短い感想が寄せられます。語彙は少ないですが、皆過去の気持ちを味わい直しているようです。
「そうだね。その気持ちを難しい言葉でいうと・・。」
満足感、達成感。この二つの言葉が映し出されます。
「みんなの感じたこの気持ちがね、次の一歩を踏み出す大きな力になります。」
子どもたちは、目をパチクリさせながら、増子先生を見つめています。


「ここでもう一つクイズ。みんなのこの力を4倍にさせるキーワードがあります。ヒントは、これです。」
後ろにヒントが映されます。「〇ク〇ク」
「さて、この丸の中には何が入るでしょうか?」
「えー、ゴクゴク!」「ビクビク!」「答えはブクブクです!」と児童たち。
無邪気にボケ続けますが、みんなうすうす正解に気付いているようです。場を収めるように9年生が答えます。
「ワクワクです。」
「そう、ワクワク!みんなこのワクワクする気持ちを大切にしてほしい。ワクワクは、みんなのやる気を4倍にするすごい力を持っています。」
一様に目を中空にすえ、各自自分のワクワクを思い描いている様子です。
私も同様にくうを見つめます。ワクワク・・、自然と脳裏に82日の情景が巡ります。悪い癖ですが、悲観的な私の思考は自ずと苦い過去を漂っていきます。
新校舎で期待を胸にスタートした二学期。一学期の反省をバネに再出発した二学期。多くの挑戦に満ちた二学期。しかし、人はそう簡単に変われるものではなく、同じ過ちを繰り返しました。82日、改めて振り返っても、満足感、充足感にみち眠りについた日があったかどうかも疑わしいです。・・進歩なき反省の人。そう自分を揶揄したこともありました。
しかし、かろうじて自身を支え、また明日への希望を繋いだのも「ワクワク」です。失望しても、失敗しても、自分自身を嫌悪しても、やっぱり小さくとも常にゆめの森には「ワクワク」があり、自分を繋ぎ止めてきました。

増子GMが話を続けます。
「ワクワクを大切に、、考えて、自分で決めて、まずはやってみる。みんな冬休みは、いろんなことに挑戦してほしい。」
「挑戦するときに大切な視点はね・・・。」壁面に次の言葉が映ります。
「わたし」を大事にし、
「あなた」を大事にし、
みんなで未来を紡ぎだす。
「3学期、今よりもっとレベルアップしたみんなに会えることを楽しみにしています。くれぐれも怪我のないように。終わります。」

児童生徒たちの表情は、晴々としていて冬休みへの期待で溢れているように見えます。そんな子どもたちを笑顔で眺めながらも、正直私の心は期待よりも課題が重くのしかかり、晴々しません。私は果たして子どもたちにワクワクを提供できたのか。ワクワクする導火線をうまく引くことができたのだろうか・・。溌剌としたゆめの森のデザイナーたちの活躍を思い出し、自分と思わず比較し、視線が落ちます。
ここで、増子GMの言葉が蘇ってきます。
「わたし」を大事に、「あなた」を大事に、みんなで未来を紡ぎだす。
・・「みんな」を大切に考えるあまり、ときに「わたし」を蔑ろにしてはいまいか。「みんな」に追従し、「わたし」を封じることを「大人」と一人合点して、澄ましてはいまいか・・。
これは何も私が自己犠牲のもと、ゆめの森に奉仕しているなんてことを言いたいのではありません。ゆめの森の未来に誰の犠牲も必要ない。至極当然で当たり前のことをGMの言葉で思い直したのです。
「あなた」(児童生徒)を大切にしたいのなら、「わたし」(自分自身)も同じくらい大切にしなさい。寂しさも、悲しみも、怒りも、悔しさも大切な自分の一部。全部含めて、まるっと大切にしなさい。卑下する必要なんてないんだよ・・。
増子GMの本意は確認していませんが、私自身そんなメッセージを頂いた気がいたします。
一人一人の命に子供も大人もありません。無論ここは「学校」ですから全ては子供のためであるべきです。しかし、「子供」に配慮するあまり、子供以外が軽んじられ蔑ろにされることも望ましいことではありません。子供も大人も一人の人間として対等にぶつかり、渡り合っていく。そこにある程度の自制は必要ですが犠牲は必要ないのです。私もあなたも、まずそのままの形で認め合い、不都合があれば、対等に話し合いぶつかり合えばいいのです。どちらか一方が常に優先されたり、遠慮した方が卑下する必要もありません。そうして私たちは今をいき、一緒に未来を紡ぐのです。

「時間」はここ地球上では、誰にでも平等です。
唯一無二の私の、唯一無二の私のこころ。一秒一秒のこころの積み重ねが、今の私の人格を形作っています。大切な「あなた」もおんなじです。
大切な時間の集積が「今」を作り、「今この瞬間」の集積が未来を作ります。喜び、楽しみだけでなく、悲哀含め全てが、この愛おしい「今」を形成している・・。
冬休み、何か特別なことをしなければ、なんて焦る必要はありません。
自分で考え、自分で決めて、まずやってみる。結果はともあれ、そうすれば自ずと時間は積み重なり、馥郁たる未来を醸すはずです。
「時は流れない。それは積み重なる。」
暗闇の樽の中、長い時を経て角が取れ、熟成するウイスキーと、老境に入り円熟味を増した俳優。この二つを掛けて表現したCM。
増子GMのお話に、何十年もの時をおいて、唐突にこれが脳内再生されたのは、偶然ではありません。