2011年3月11日の東日本大震災から14年が経ちました。2月には震災の内容を扱った道徳の授業が各学年で行われ、その後で「3.11の集い」に向けて鶴を折りました。今の中学1年生は2011年生まれで、ゆめの森の子供たちのほとんどは震災を経験していません。未曾有の震災と原発事故を経験した大熊町は復興が進み、今月は商業施設もオープンします。

4校時目の全校道徳では、大熊町出身のデザイナーが当時のことを語りました。震災当時は小学校6年生。春の遠足で大野小学校(現インキュベーションセンター)から坂下ダムまで歩いた思い出もあるそうです。

「3月11日は金曜日で一斉下校の日でした。校庭でスクールバスを待っている時に、立っていられない程の大きな揺れを経験しました。怖いって思ったけど言えませんでした。自分より小さい子たちが泣いていて、どうにかしないといけない…と思いました。」

「スクールバスが来るまでの間、ただ校庭で待っていました。体育館の屋根や天井が落ちるのを目の当たりにして、もう学校に行けないと感じました。家に帰った後も余震が続き倒壊の危険があるので、その日の夜は家族全員で外のビニールハウスで寒さに耐えながら過ごしたことを覚えています」
「6年間、休まず登校しました。友達と過ごすことが楽しかった」と話す小学校生活の最後は、避難生活で終わったそうです。翌日の12日、町内放送を聞いて近くの公民館に行くと「避難してください。家に帰らないでください」と言われ、避難生活が始まりました。「一箇所目の避難所は満員。二箇所目の田村市の学校の体育館で家族や近所の人と同じ毛布を使って休んだ。食料も賞味期限が切れたパンが家族で一個だけ」という過酷な状況が待っていました。

避難所も七箇所目で落ち着き、小学校の卒業式は4月になってから証書やアルバムを受け取ったそうです。会津の中学校で新たな生活をスタートさせ、中1の3学期にはいわきの中学校へ転入しました。「こういう出来事があったから、今の大熊があることを知ってほしい」と当時のことを語ってくれました。
お話を聞いた後は震災当時や震災後の写真を見ました。現在、大熊町ホームページでは震災後の写真がまとめられています。https://www.town.okuma.fukushima.jp/site/shashinkan/


〜感想〜
・写真を見て、防災バックの準備をするとか災害に対する備えが必要なんだと思いました。
・今の大熊より、いろんなことをやっていると思いました。人もたくさんいました。今と違うことが分かった。
・話を聞いて、写真を見て実感できました。
・家で地震の話は聞いたことがあります。家の物が倒れたり、揺れで立っていられなかったり、大変だったということが分かりました。
・写真を見て仮設住宅が小さいことが分かりました。生活するのが大変。
・実際に経験した人から話を聞くことは貴重な体験でした。避難生活は苦しいもの、リアルが伝わりました。

午後は大熊町役場で「3.11の集い」が行われます。出かける前に、全校道徳の振り返りを行いました。「避難してから家に帰れたのは6,7年後。飾っていた写真やお気に入りの文房具、思い出の物を持っていきたかった。大熊に住めるようになった時、処分するしかなかった」
震災が起きた頃の浪江中学校2年生の生徒のスピーチと、震災から2年後、大熊中学校のプレハブの校舎が完成した際に挨拶をした中学3年生のスピーチが南郷GMより紹介されました。

「3.11の集い」に参加するため、歩いて役場に向かいました。風は吹いていますが、暖かい日でした。
千羽鶴ツリーの鶴は、ゆめの森の子供たちも折りました。献花台に献花していきます。


「いちばん大切な物がなくなるのは悲しい。経験している人はツラいと思った」
「私たちは幸せ。お父さんがいてお母さんがいて、帰る家がある。当たり前じゃないと感じた」
「家に帰れないのはイヤ。ツラいことはないほうがいい」「次の世代にも聞いてほしい話」

「悲しい1日。たくさんの人が避難して、周りの人たちと協力し合って、食料も分け合ってことを知った」
「今の大熊町は平和な町。いい町」「地域の人と関わっていきたいと思う」


「歴史の中でも名前が残る大きい地震。14年経った今こそ防災について考えて、振り返るべきだと思いました。津波や地震で亡くなった人の分まで1分1秒大切にして生きたいと思う」
「1分間の黙祷をした。強い揺れが何分も続いたことを思うと、本当に大変なことだったと思う。日々の備えが大切だと実感した」
「命を大切にして生きたいと思った」
「地震や津波があったことを思いながら黙祷をしました。道徳で話を聞くことができて良かった」
「同じ場所でたくさんの人が黙祷を捧げていました。災害の深刻さが伝わりました。これからも参加していきます。大変だっただけで終わってほしくない。この思いを繋いでいきたい」
震災を経験したことがない今の子供たちは、それぞれに思いを繋げることができた様子でした。
